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コラム 171 | ベトナム紀行2017-3 |
コラム 172 | ベトナム紀行2017-4 |
コラム 173 | ベトナム紀行2017-5 |
コラム 174 | ベトナム紀行2017-6 |
コラム 175 | バラ盆栽 |
コラム 176 | バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future) |
コラム 177 | 風鈴 |
コラム 178 | 奥羽の旅 |
コラム 179 | 古稀 |
コラム 180 |
里主コラム 1~10 | 51~60 | 101~110 | 141~150 | 191~200 |
里主コラム 11~20 | 61~70 | 111~120 | 151~160 | 200~211 |
里主コラム 21~30 | 71~80 | 121~120 | 161~170 | |
里主コラム 31~40 | 81~90 | 121~130 | 171~180 | |
里主コラム 41~50 | 91~100 | 131~140 | 181~190 |
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ベトナム紀行2017-3
一路、ホーチミンから北に飛んで1800㎞の首都ハノイへ、そこから東に約170㎞の世界遺産ハロン湾(Ha Long)に向かいました。
「世界の絶景100」に選ばれた奇岩の島々が浮かぶ風光明媚な所です。
その昔海中に石灰岩が堆積し、後に隆起して長い年月と共に風雨の浸食を受け、その後再び海に沈みましたが、一部は島々となって残り絶景を作りだしています。
その姿は奇々怪々、人々を魅了してやみません。
地名の「Ha Long」は「降りる龍」の意味だそうで、龍の伝説が沢山残っています。 -
この地にも開発の手は伸びていて、Sheraton Hotelがリゾートホテルの開発に取りかかっており、ホテルからは絶景が一望できる好立地、流石に世界の一流ホテルは良いロケーションを選ぶものだと感心致しました。
道を挟んだ奥にはリゾートマンションを建設中ですが、立地場所からして全景を楽しむことは叶いませんが、ゆったりと時間を楽しむには最適の地ではないでしょうか。
Sheraton Hotelの完成予想図 - リゾートマンションなどの完成予想図
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ベトナム紀行2017-4
ハロン湾からハノイに戻る途中ハイフォン近郊の田園風景を覗いてみました。
ベトナムの稲作は三期作(南部)か二期作(北部)、今穂が出そろった所でもう一月もすると稲刈りが始まります。
日本の田園風景とほとんど変わらず、特に北部は規模が小さく自家消費にされる方が多く南部デルタ地帯に比べて機械化はやや遅れています。
消毒中の光景を観ましたが、手押しポンプを背中背負って炎天下作業中で、熱射病にかからないか心配する程です。
先日ホーチミンを訪れたとき、市民の生活ぶりを伺うには朝市が必定と、早朝に朝市に似た店筋を歩いて、お米屋さんに立ち寄りました。
どんなコメをどのくらいの値段で販売しているのか興味津々、見ると糯米が7割近くを占めキチ米が意外と少ないのに驚きました。そしてすべて長粒米です。
価格は1㎏あたり糯米15,000ドン(≒75円)から29,000ドン(≒145円)、キチ米は11,000ドン(≒55円)から14,000ドン(≒70円)位で、日本人にとっては超安値ですが、ベトナム庶民の月給が2万円から5万円と考えるとこれ位が相場なのでしょう。
「なるほど」と食事をしていて気が付いたのですが、糯米を油で揚げたものや、お餅にして伸ばして干し、ラップ代わりにお野菜と魚や肉などを包んで頂いたり、ゆで麺にして付け汁とか、どんぶりに入れて具材と合わせてトッピングを楽しみながら頂く料理など、白米そのものを頂く料理にはついに巡り合えず、店頭で糯米が多いわけが解りました。
気候が熱いので糯米を味付けして炒めたものや煮たものが、理にかなっているからでしょう。
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ベトナム紀行2017-5
ベトナムはインフラ整備が最重要課題ですが、財政難から進捗が遅れており、ロシアや日本が受注予定の原子力発電所建設計画が中止に追い込まれたりしています。
そんな中で、グエン・チ・ズン計画投資相が来日して、PPP(官民パートナーシップ)を導入して関連法の整備に着手し、今後10年間に4,000億$規模でロンタイン空港・南北高速道路・南北高速鉄道等を作る計画等を発表しています。
そんな訳でハノイ駅に行ってみますと、駅は閑散として人もまばら、東京駅を想像している者にとっては拍子抜けの光景でした。そして利用客が少ない理由がすぐに解けました。ハノイ・ホーチミン間の列車は一日に数本、しかも3日がかりで1800Kmを旅しなければならず、時間通りに動かないのが常態化していることです。
ハノイの次の駅に立ち寄り時刻表と照らし合わせて見ると2時間以上は遅れています。
これには驚きですが当地の方は平然としていて、駅構内で荷物を一杯抱えて列車の来るのをのんびりと待っている人々を見ると、大陸的郷愁を覚えてしまいました。
これに比べて格安航空LCCのハノイ・ホーチミン間は満席、私が利用した便も僅か66$ですから、安く・早く・便利です。
同行の友人が間違ってビジネスクラスのチケットを買って三倍も高く支払って嘆くことしきり、しかもビジネスクラスはガラガラ、空席は離陸間近になってエコノミーを買って乗れなかった人をビジネス席に誘導して即満席、 しかもお金はエコノミーのまま、シートも座席間隔もエコノミーと同じですから、この違いは無料の食事が出るくらいで超割高となっています。
現在の処、人の流れは完全に航空便となっています。しかも格安航空が猛烈にシェアを拡大中です。ベトナム航空とLCCのシェアはわずか1%と肉薄しています。
高速鉄道が完成すると7時間程度で行かれますから、車の普及に合わせて人の動きにまた変化があるかもしれませんが、まだ未だ遠い話です。
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ベトナム紀行2017-6
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1年ぶりの訪問で感じたことは急速に都市化が進行中であり、人々は生活向上に向けて懸命に働く姿が有り、平均年齢が若いだけに躍動感が有って将来性がある所です。
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日本の1960年代から1970年に差し掛かる頃の雰囲気とそっくりです。
ベトナム国民が増々飛翔することを心より願って、一路ベトナム航空で帰路につきました。
日本は戦後の焼け野が原から復興を経て先進国に仲間入りまで約40年を費やしました。
その後を追って、台湾、韓国、シンガポール、そして中国が驀進中で、日本の約半分20年程で先進国又はその目前にあります。
そのあとに続くのがASEAN諸国とインドですが、とりわけ ベトナムは日本と国状がよく似ています。仏教国、海洋・農耕民族、細長い国土、人口規模、戦争経験(ベトナム戦争日本は第二次世界大戦)、等々、そして勤勉で真面目な国民性もよく似ています。
ベトナムは一人当たりのGDPが昨年2100$程ですが2020年には3000$を超えると言われています。
「中進国の罠」にはまらなければ、今後20年を待たずして先進国の仲間入りをすることはほぼ間違いないでしょう。
日本の復興期と異なり現在はIT社会、携帯の普及により社会インフラ投資が少なくて目的がかなえられる時代ですから、途上国にとっては飛躍時間が早く他の社会インフラに重点的に投資することができます。しかもODA(政府開発援助)やPPP(官民パートナーシップ)の資金活用をすれば財政難もカバーできますから期待できます。
個人が主役の時代ですから、特に若い世代が多いベトナム国民にとってはこんなに面白い時代に遭遇するとは夢々思わなかったことでしょう。
このチャンスを最大限生かして成功することを期待し、日本国民として 一助になればと願う次第です。一年後にその後の発展度合いを観に伺う予定です。
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バラ盆栽
バラの盆栽に挑戦し始めて3年が過ぎ、今年は盆栽鉢を吟味し、山川を歩いて盆栽の景色をイメージして梅林石など趣のある石を集めて廻り、それに見合った苔を探して、好みの自然を求めては持ち帰る楽しみが新たに増えました。
春にとりあえず18鉢をポット鉢から盆栽鉢に移植して様子を見ることにしました。
水管理や肥培管理、太陽光の調節、加えて岩に根をはわせる工夫も試行錯誤しながら幼根を石の亀裂に沿って植えるなど、色々と試しています。
3か月が過ぎた現在、思った以上に徒長枝が伸びてバランスの悪いもの、肥料不足でひ弱な容姿になったもの、花芽が着かずに葉だけのもの、その上今年は比較的寒くて乾燥していたために生育不全のものなど散々な出来栄えとなっています。
一回目の花は総じてバランスが悪く(徒長しすぎて)、これから開花する花は小ぶりで及第点には程遠いものです。何事もはじめは失敗の連続と心得て、この一年はデーター集めに心して来年に生かそうと思っています。
来春は少し納得のゆく風景(盆栽)が出来上がる様にと苦楽している毎日です。
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バック・トゥ・ザ・フューチャー(Back to the Future)
お若い方はご存じないかもしれませんが、今から30年余り前のアメリカSF映画で、1985年に第1作、PART2が1989年、PRRT3が1990年に発表され全米で大ヒットし日本でも当時大変話題を呼んで大ヒットした映画の題名です。
あの有名なスティーヴン・スピルバーグの制作総指揮、ロバート・ゼメキス監督の作品です。車・デロリアンDMC-12をタイムマシーンに改造してタイムスリップするストーリーです。
マイケル・J・フォックス(マーティ・マクフライ役)、クリストファー・ロイド(博士のドク:エメット・ブラウン博士役)、リー・トンプソン(マーティのガールフレンド:ロレイン・ベインズ・マクフライ役)が出演しています。
ドク博士がデロリアンをタイムマシーンに改造して実験に成功しますが、テロリストに撃たれる。助けようとマーティは1955年(30年前)にタイムトラベルしてドク博士に伝えます。戻ろうとするがマシーンを動かすプルトニウムが無くなりドク博士は雷のエネルギーを利用することを思いつき、ヒルバレー裁判所に落ちる時間に合わせて配線をセットして雷のエネルギーで再びタイムトラベルする。
2作目はゴミを燃料にして空を飛ぶ車に改良し、2015年(30年後)のヒルバレー裁判所前へ再びタイムトラベル、マーティの息子の危機を回避すべくスケボー「ホバーボード」を使って活躍する。マーティとドク博士の軽妙なやり取りが面白く、また過去の両親との出会いや悪ガキとの対決、未来の息子との出会いなどタイムスリップならではのストーリーです。
さて、その映画に使われた車デロリアンDMC-12がアメリカから遥々イオンモール徳島にやって来て試乗体験しました。当時の時代を思い起こしながら感無量と言った所です。
本物は動きませんが、このレプリカのデロリアンDMC-12は動く優れものでした。
これから30年後は果たしてどんな世界が待っているのでしょうか。
勿論私はこの世には存在しませんが、是非見てみたいものです。
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風鈴
我が家では毎年7月1日に軒先に風鈴を吊るして、夏の暑さを音の涼に変えて楽しんでいます。近頃では各ご家庭での風鈴を見かけることもめっきり少なくなりました。
現代社会や自然環境がそうさせている様子で、 犯罪の増加や、大気汚染、亜熱帯を思わせる異常高温、都市化の進展による高層住宅の増加などその要因は様々、風鈴の居場所が無くなったのは無理からぬことです。
昔の住まいは夏型で簀戸を開けて鴨居に風鈴を吊るし、田畑から吹く優しい風を捉えて「リ~ン」と涼しげな音色と共に屋内に緑の風を運んで、暑苦しい庭先の蝉の音を打ち消して「涼」を頂いたものです。
現在の建築はペアガラスに代表される気密性の高い住宅に空調完備ですから外界とは無縁の世界、夏の風情が入るスキがありません。
我が家も御多分に漏れず風鈴はエアコンの吹き出し口の近くに吊るして、その微風で心地よい音色を聞かせて貰っているのが現状です。
風鈴はとても種類が多く鉄製、ガラス製、陶器製、木製、貝殻等様々な素材があり、上げればきりがないほどですがどれも自然の音、我が家の風鈴は南部鉄で製造されたもので、高い澄んだ音色が特徴です。
30年程前に家族で東北旅行に出かけた時、南部鉄の茶釜を探していて偶然にその涼やかな音色に魅了されて購入したもので、今では夏に欠かせない設えの一つとなっています。
またこの時節、風鈴と共に思い出されるのが「アイスキャンディー」を売る自転車の「リン」の音色です。おじさんが日本手ぬぐいを首に巻き麦わら帽子を被ったいでたちで、黒塗り荷物用自転車の荷台にズシッと重い木箱の中に棒状の色とりどりのアイスキャンディーを収めて、幟を揺らしながら「リリ~ン」と鳴らしながら売り歩く風情は遠い昔の風物詩となりました。値段は一本5円から10円で、芯のスティックに当たりのマークが入っているともう一本タダで貰える仕組みで、それがもう一つの楽しみでした。
夏の風情を風鈴の「音色」で「涼」を楽しむのも粋なものです。
お持ちでない方は一度お試しになられてはいかがでしょう。
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奥羽の旅
久しぶりに東北に足を運ぶこととなり、三十数年ぶりにもなります。
毎年どこかで株式投資仲間と勉強会を開催するのですが、今回は岩手県盛岡市に在住している方の地で開催の運びとなりました。
有名な「さんさ踊り」に合わせたスケジュールなので楽しみも倍増です。
こちらを出るときは35℃の熱帯でうんざりでしたが、盛岡に着いてみると27℃(最高気温)と涼しく快適そのものです。
例によって投資会は熱心な方々が国際政治経済情勢や各国の国内分析、それを踏まえた短期中期長期的見通しを披露し、各業界や個別銘柄の今後を予見して、各人各様の得るところを以て3日間の研究会は散会となりました。
その間、夜間に盛岡市中心街で行われる「さんさ踊り」を初めて拝見し、もの静かな中にも情熱を秘めた踊りは笛を先頭に太鼓、踊り子、鐘、男女ともに手振りや足さばきの優雅さは、東北地方ならではのリズム感と相まって素晴らしく、アナウンスの方の優しい言葉遣いがとても印象的でした。
翌日、盛岡から90㎞東南に寄った遠野市の寒村で厳しい生活環境から生まれたデンデラ野(姥捨て山)があることを知って、拝見することにしました。
六十歳になったら老人はデンデラ野に集団で住まいして、日中は野に下って農作業の指導や手伝いをして夕刻にはわずかな食料を持って山に登る生活をしました。豪雪地帯の厳しい山村で生き抜く農民の知恵から生まれた余命を過ごす生活スタイルは一見非情に思えますが、今に直すとデイサービスや老人ホームがその役割を担っている感じがします。
現代社会のほうがむしろ時代から隔離されていて問題があり無常観を覚えます。
時代背景から老人の知恵や体験がAIやIOT社会では通用しなくなって、除け者扱いになっている節が見受けられますが、「人生観」の視点に立脚すると老人の英知は若者にとって見習うべき要証ではないでしょうか。
高齢化社会の日本にとって何が大事か、もう一度精査してみてはいかがでしょうか。
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古稀
この前に還暦を迎えて歳を取るのが早くなったと思っていたら、今年は早や古稀を迎えてしまいました。
中国唐時代の詩人杜甫の「曲江」の一文から七十歳を「古稀」と言う様になりましたが、その漢詩を披露しますと、 -
朝より回(かえ)りて日々春衣(しゅんい)を典し
毎日江頭(こうとう)に酔いを尽くして帰る
酒債は尋常、行く処に有り
人生七十古来稀なり -
花を穿(うが)つ蝶(きょうちょう=アゲハチョウ)は深々として見え
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水に点ずる蜻蜒(せいてい=トンボ)は款々(かんかん)として飛ぶ
伝語(でんご)す風光、共に流転して
暫時相賞して相違うこと莫(なか)れと -
《わたくしなりに要約しますと》
酒を楽しみ質屋通いしている毎日
七十まで生きることは稀だから
自然に対して言伝したい
アゲハチョウやトンボも私も同じ時を流れてゆく
ほんのしばらくの間(人生)
お互いに楽しく行こうではないか -
人生を達観し謳歌した素晴らしい漢詩です。
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1300年前の唐の時代は70歳を超える長寿の方は稀であったが、現代社会は医学の進歩と生活環境改善から寿命は伸びて、最近の研究では2007年生まれの日本人は平均年齢が107歳になると予測しています。欧米でも102歳から104歳まで延びるとか。現在50歳未満の方は100歳以上の御長寿になるそうです。
そうなると就労年齢も現在の65歳からグーンと伸びて90歳も夢ではなくなります。
超長寿社会は全く違ったステージに上る訳で、新しい価値観が生まれます。高齢者の方々、これから高齢者になられるすべての皆様、人生を積極的に謳歌して楽しむ工夫を再検討(検討)してはいかがでしょうか。
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英会話
古稀を迎えて始めたものに英会話があります。
これには訳があって、一つは日本が戦争に負けて戦勝国の言葉を耳にしたくない強い思いがあったからです。
理由は父が広島で原子爆弾を爆心地から僅か700mの所で被爆したからです。
丁度、学校が軍の宿舎で朝ゲートルを片足巻いた時に炸裂し、一瞬で校舎は倒壊し部隊長と父は奇跡的に一命を取り留めましたが他の兵士は外に出ていて全滅、その惨状をつぶさに聞いた私は連合軍(アメリカ)の非情さを許すことは決してできませんでした。多くの市民に向けての無差別攻撃で即死や即日死の方が14万人以上、爆心地とそれに近い場所では80~100%が即死だったそうです。その後の死者数を合わせますと40万人を超える犠牲者です。戦争終結を早めるために行ったと後講釈していますが、その時点でもう日本は戦力がなく事実上敗戦状態でしたから実際は原爆を試すこととジャップ(日本人を蔑視した差別用語)=人種差別が根底にあったと私は理解しています。同じ大戦でもイタリアやドイツには原爆は投下されませんでした。その3日後には長崎に投下され即死と即日死が9万人以上、その後の犠牲者を含めますと20万人以上に及びます。
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又、B29 爆撃機による日本の各都市へ焼夷爆弾投下で無差別攻撃を行い、東京大空襲だけでも一夜にして10万人以上の市民が犠牲になりました。
軍事施設に拠点爆撃するのであればまだしも理解できますが、風を利用して市民を包囲して焼き尽くす残忍な手口は非道極まりない行為です。
本土攻撃の残忍な戦争行為は今以て許すことのできない卑劣な軍事行動です。
そんな訳で第二外国語はスペイン語を習いました。
もう一つの訳は、グローバル社会の只中に有って外国に旅行する機会が多くなり共通言語である英語が話せない不便さを痛感したからです。
中学校の時に習った日本語英語では全く通じませんから、発音の基本から習得しなければならず老体を鞭打ってPCから無料の動画レッスンで少しずつ始めています。
老化した細胞に刺激を与えながら習ってるので覚えた先から忘れる始末、前途多難ですがあきらめずにコツコツとゆっくり進めたいと思います。